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ゲンカレチ 専務車掌 源石和輝

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拝啓 久米宏さま 定期列車

「久米さんお疲れさまでした。


久米宏著『久米宏です。』/柳澤健著『1974年のサマークリスマス』

中学2年のとき『中学生にもわかるニュース番組』を標榜して『ニュースステーション』が始まったころ、なぜか楽屋にいる夢を見ました。行ったこともない楽屋がなぜ夢に?と思いましたが、その夢はアナウンサーへの夢になり、やがて現実になりました。私の中の久米さんはニュース、クイズ、歌番組など硬軟こなすアナウンサーの鑑。そして『ラジオなんですけど』でようやくラジオの久米さんを知ることができました。街頭中継、フリートーク、歯に衣着せぬ発言…やはりアナウンサーに必要なものをすべて兼ね備えていました。一方的ですがいろいろ教えていただきありがとうございました。その一つ一つが身についているかは甚だ疑問ですが、25年この稼業を続けてこられたのも久米さんの存在あってこそです。できれば会ってお礼を申し上げたいところですが、まずはメールで「久米さんにどうしても伝えたいこと」としてしたためた次第です。最終回お疲れさまでした。これからもおしゃべりを止めないでください」  

6月27日、TBSラジオ『久米宏ラジオなんですけど』にメッセージを届けた。番組終了後久米さんの目に留まればという思いで。すると番組の最後「名古屋の同業者からです」という紹介とともに読まれたではないか!運転中の車を安全な場所に停め、火照る身体を落ち着けた。雲の上の人に名前を呼ばれた瞬間、「幻のニュースステーションの楽屋」で会えたような気がした。そして会いたいという気持ちを強くした。言霊が宿るというのはこういうことなのだろう。同じ瞬間を聴いていた人たちからTwitterやメールでメッセージが寄せられた。リスナー同士の横のつながりも実感した。懐かしい人とコンタクトを取ることもできた。「ラジオは縁(えにし)のメディア」。ゲスト伊集院光さんとのやりとりがよみがえる。しゃべり手の一言があらゆるものをつなぐのだ。



そんな縁を断ち切る出来事が6月30日に起きた。RadioNEOとFM PORTの閉局である。「お送りしてきました」「すべて終了しました」こんなことは言いたくも聞きたくもない。その後に来る砂嵐も。‪10年前、RADIO-i閉局のときにも思ったのにまた…ラジオに携わる者の一人として、胸に刻むことがまた一つ増えた。惜しまれつつ?そんなの嘘っぱちだ。惜しまれるくらいなら廃止にはならない。葬式鉄的な郷愁では誰も何も救えない。中の人も利用者も当事者意識を持たないとまた同じことが起こる。「時代の流れだから」と看過してはいけない。少なくとも時代の流れを作る人が口にする言葉ではない。


「25年ですか…僕は50年やってきました」。久米さんはメッセージに答えた。25年に敬意を表されたとも、50年に矜持を見せたとも感じる。「ようやく半分、まだまだ」という思いと「あと25年働けるじゃないか」という思いを新たにした。これから25年、ラジオは激動の波にさらされるだろう。そしてまだまだ愉しめるだろう。心静かに、魂熱く。ラジオの時代を作っていこう。

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