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直球勝負!大澤広樹

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『吉見引退 90勝より14勝』 日々

きのう、中日ドラゴンズ吉見一起選手が引退会見を行いました。新型コロナ対策で会見場への入場人数が制限されていたため、わたしはその様子を目にすることはできませんでした。そしてきょうの現役最後の登板は「リリーフ登板なら番組終了後でも間に合う!」と思っていましたが、「先発投手」…。なので、17時56分まで東海ラジオのスタジオにいるわたしは、吉見選手の最後の登板を見ることもかないませんでした。通算15年、90勝。きのうの会見では「15年もできて、90勝つことができて」と言っていましたが、わたしは勝手に「吉見くんほどの投手が90勝で現役を終えるなんて悔しい」という気持ちです。まずはお疲れさまでした。



10月31日土曜日、わたしが早朝野球を終え、3三振の悔しさをかみしめていた午前8時29分、着信を知らせる私のスマートフォンの画面に「吉見一起」という文字が表示されました。わたしは要件を察しました。「おはようございます! 朝早くにすみません」と吉見選手の元気な声が耳に届きました。「ドキドキするけど、そういうことかな…?」と私は言いました。「ドキドキするのは久しぶりなんじゃないですか(笑い)。はい、辞めます!」という吉見選手。そして吉見選手から経緯、今後の目標などを聞き、「連絡してくれてありがとう」と数分の会話で通話終了ボタンを押しました。もっと話したかったけれど、連絡しなければいけない方がたくさんいるはずです。わたしだけが彼の時間を奪うわけにはいきません。おそらく吉見選手、10月31日は一日中、電話を手放すことができなかったでしょう。「あいうえお順に電話していますから、大澤さんは早かったですよ」と彼は笑っていました。

そして翌11月1日日曜日、スポーツ紙などで「吉見 引退」と報じられました。

吉見選手との思い出は尽きません。野球の話をすればその奥の深さを彼自身の言葉でたっぷりわたしに伝えてくれました。教えてくれました。わたしの「野球の師」の一人と言っても過言ではありません。バカ話もいっぱいしました。そして放送の仕事にも彼はずいぶんと協力してくれました。いまから10年前、2010年のオフ、吉見選手に「東海ラジオのスタジオでリスナーを集めてトークショーをやってもらえないかな?」とお願いすると快く引き受けてくださいました(下写真)。バリバリのドラゴンズのエースのトークショー、しかも東海ラジオで人数限定で。全員にサインをプレゼントしてくれた吉見選手、選ばれたリスナーの皆さんは大喜びしてくださいました。



2009年オフには極寒の中京競馬場でトークショー。あまり競馬には詳しくない吉見選手、控室では「大澤さん、どの馬を買えばいいですか?」と聞いてはまあまあな金額をつぎ込み、最終的にはその日の出演料をしっかりJRAにお返しして帰っていきました(笑い)。



わたしが結婚した2013年にはお祝いをしてもらいました。本当はわたしたちの結婚披露宴にもご出席いただく予定だったのですが、その1週間前にインフルエンザに感染してしまった吉見選手。披露宴は1週間後。解熱して2日もたてば出席できたでしょうが、実はわたしたちの結婚披露宴の日はドラゴンズのファンフェスタ。球団からファンフェスタへの参加を止められた吉見選手、さすがにファンフェスタを欠席して披露宴に出席するわけにはいかないということで、欠席になってしまったんです。ただ、そもそも「ファンフェスタの日だからドラゴンズの関係者は招待をしない」と決めていたわたしに「いやいや大澤さん、ファンフェスタ後で披露宴に間に合うじゃないですか! 出席させてください」と言ってくれたのが吉見選手と、川井雄太選手(現在中日ドラゴンズ職員)でした。うれしかったです。



後日、いくらするのかわからないようなすし屋で、鯛の尾頭付きまで用意して祝ってくれました。



CBCテレビ若狭敬一アナとも3人で食事というのも何度もありました。野球大好きオジサン2人を相手に、(おそらく)嫌がることなく付き合ってくれました。わたしも若狭アナも、心から吉見選手を応援していました。吉見選手から「お二人にはお世話になっていますし、いまも野球をやっているし、野球大好きなのでこのグラブ、良かったら使ってください」と、新品の吉見一起モデルのグラブをわたしたちにプレゼントしてくれました。うれしかったな~。もちろん硬式用の、しかもプロモデルの吉見モデルを草野球で使うわけがありません。大切に保管しています。

吉見選手、ナゴヤ球場に向かう前に名城公園に立ち寄り、わたしがプレーしている「ガッツナイターズ」の試合を見にきたことがありました。ただ、彼はベンチに近寄ることなく、わたしが見学していたことを知ったのは翌日のことでした。「ベンチに来てくれればみんな喜んだのに」と言うと、「ガッツナイターズ、強いですね。接戦だったので、リズムを崩してはいけないと思って。投げていた背番号7番の子、いいピッチャーですね」と。彼はどれだけ気遣いができるのでしょう。



どんどん思い出が浮かんできて、なかなかブログが書き終わりません。吉見選手が投げている姿を最後に見たのは8月11日の二軍戦、ナゴヤ球場でした。

つい先日のことです。ナゴヤドームである球団関係者と話していたとき、こんなことを言っていました。「大澤くん、大野はすごいよ。二年間しっかりローテーションを守って結果を出している。もう一人、しっかり二年間ローテに入って投げているピッチャー、わかる? 吉見だよ。彼は一軍でも二軍でもこの2年間欠けることなく、ローテーションをずっと守って投げてきた。このチームで2年間、しっかり先発投手として投げたのは大野と吉見だよ」と。

8月11日もそうです。ことしで35歳になるベテラン、5年連続2桁勝利、最多勝2回、最優秀防御率1回、通算90勝の吉見選手は、酷暑の中、黙々と投げ続けていました。



5年連続2桁勝利を挙げていた2008年から2012年の吉見選手はそりゃもうすごかったです。何度もわたしが紹介している、稲葉光雄二軍投手コーチの告別式に参列したあと、その日の巨人戦で完投勝利を挙げた2012年8月15日は忘れられない試合です。

ただ、わたしが改めて吉見選手のすごさを感じたのは、いや、好きになったのは、この二年間に「二軍戦」で積み上げた14勝、148イニングです。ナゴヤ球場でもビジターでも、地方球場でも、どの球場でも文句を言わず、しっかり二軍で投げ続けて重ねた14勝。この14勝には吉見選手の意地、誇り、そして人間性が詰まっています。二軍で吉見選手が投げる日、わたしは「頑張れ、勝て」といつも祈っていました。この二年、吉見選手には「本物のプロの誇り」を見せてもらったと一方的に思っています。

「準備、準備」と口癖のように言っていた吉見選手。しばらくはそんな準備から解放されてゆっくりしてください。でもすぐに次のステージへの準備が待っています。彼は再びドラゴンズのユニホームを着なければいけない人間ですから。

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