明けましておめでとうございます!!
三ヶ日も終わり、
もうバリバリお仕事している方もいらっしゃるでしょうか。

2012年がスタートしましたが、
みなさんは、今年の目標は立てていますか?

私は一年の目標ではなく、
その日その日の目標を立ててますよ。

些細なことなんですが、

「今日はマラソンする。」
「今日は誰かを笑わせる。」

など、目の前にあることから
一つ一つクリアしていくことで、
毎日気持ちいい達成感ってあると思うんですよね。

なので、
みなさんも自分の中での
プチ目標立ててみてはいかがですか?
(毎朝、エコリーマンを聴く!!という目標も是非!)

さて、今年も「がんばれエコリーマン!」では
いろんな形のエコをご紹介していきます!

みなさんのエコメールも
たくさんお待ちしていまーす!!

今年も どうぞ よろ祝 お願い致します!!


下川みくに


11月5日(土)
熊野古道・伊勢路ウォーキングに川島アナと参加しました。
三重県主催で、100人もの皆さんが参加して下さいました。

前泊した宿から見た熊野灘。

熊野市新鹿海岸を出発し、波田須地区をめぐるコース。
鎌倉時代に造られた石畳の道。
ここを昔の人は歩いたのだねー。


年に1度のお祭りの日。
地元の皆さんが温かく迎えてくれました。
餅ほり(餅投げ)にも参加させてもらいました。


弁当と差し入れの豚汁と高台からの見事な眺めを満喫。
秦の時代、不老長寿の薬を求めて
日本に渡って来たと伝えられる除福さんを祀る除福宮。

名古屋からのバスが渋滞したため、
全ての参加者の皆さんに会えなかったのが心残りでしたが、
およそ5kを3時間かけて歩き、
語り部の皆さんにガイドしていただいた素敵な旅でした。
波田須地区の皆さん、主催スタッフの皆さんに感謝。

また歩いてみたいな..




東京・秋葉原を拠点に活動するAKB48の全国進出第一弾として、2008年7月に、名古屋・栄に誕生したアイドルグループ。

本拠地の栄(SAKAE)の頭文字からSKE48(エスケーイー フォーティエイト)と命名される。のちに日本全国、そして世界に展開される48プロジェクトの先駆けとなった。

名古屋の栄に建つ観覧車がシンボルのエンターテインメント発信ビルSUNSHINE SAKAEの2階にあるSKE48劇場(SKE48 THEATER)で、歌とダンス・トークから構成される約2時間の公演をS・KⅡ・Eの各チームと研究生で定期的に開催している。

AKB48同様「会いに行けるアイドル」がコンセプトである一方、"地域密着・地域貢献"を活動テーマとして掲げていることも大きな特長のひとつ。地元・名古屋のテレビ・ラジオ番組やイベントに積極的に出演する一方、コンサートツアーや出張公演、握手会などを全国規模で展開。全国放送のテレビ番組や雑誌グラビアなどにも多数出演し、シングル曲はオリコンランキングで15作連続1位を獲得。2012年には結成以来の目標として掲げていた「NHK紅白対抗歌合戦」への単独出場を果たし、その後も、2013年・2014年と3年連続で単独出場を果たす。

2016年6月現在、姉妹グループとの兼任メンバーを含め62名が所属。劇場支配人は、湯浅洋と芝智也(副支配人)の2名が務めている。激しいパフォーマンスと熱狂的なファンの掛け合いは48グループ随一との呼び声も高く、2015年、Wセンターを務めていた松井玲奈の卒業後、エース松井珠理奈がAKB48との兼任を解除。SKE48専任に復帰する。

2016年6月に行われた第8回AKB48選抜総選挙では、松井珠理奈が3位。須田亜香里が7位を獲得。SKE48メンバーの約1/3とも言える総勢20名のメンバーがランクインを果たし、名古屋から全国へと止まらぬ勢いを発信し続けている。 (2016.06 updated)


2022年3月9日29枚目のシングル「心にFlower」をリリース。

 

*SKE48公式サイトから抜粋


TOKAI RADIOは2025年4月1日に開局65年を迎えます。 
2024年4月1日から2025年4月1日までを65周年メモリアルイヤー「65th TOKAI RADIO」として
各番組やイベント、SNSを通じて様々な展開をしてまいります。
1960年の開局以来大切にしてきた、ニュース、スポーツ、ミュージック、そしてトーク。
時代や聴取環境が変わっても変わることのないラジオのぬくもりや共感を、「オトナのミュージックステーション」として新たな一歩を踏み出したTOKAI RADIOがお届けします。

もう1つのTOKAI RADIOのDNAでもある「ガッツナイター」も時を同じくして50周年イヤーに突入。ぜひご期待ください。



2023823日、中日新聞社最高顧問 大島宏彦さん(89歳)が、お亡くなりになりました。

ご生前は、新聞社・通信社・放送メディア・プロ野球球団などの経営者として、卓越した手腕を発揮され、東海地方の文化・経済のけん引役として尽力されました。

20071月から半年にわたり中日新聞夕刊のコラム「紙つぶて」(東京新聞では「放射線」)に掲載された「生かされて今日まで」は、大島さんが新聞記者生活に終止符を打ち会社経営の道に入ってから37年振りに、それまでの半生を振り返り筆を執った随筆です。

自由闊達に題が選ばれた文章からは、“物事に対する感性の豊かさ”から“経営者としての考え方”に至るまで大島さんの素晴らしい人間性に触れることができます。

ラジオ番組「生かされて今日まで」は、この文章の朗読を試みたものであり、お聴き頂く皆さまが これからの生き方を考える際のヒントとなる番組に仕上がりました。東海ラジオ放送㈱では、1985年から2019年までの34年間にわたり大島最高顧問に代表取締役をお務め頂きました。

リスナーの皆さまの今後の人生がより豊かなものになることを祈念しつつ、追悼番組「生かされて今日まで」をお送りします。


 
   

 

大島 宏彦(おおしま ひろひこ)

  名古屋市出身

1934426日~2023823

1957年に中部日本新聞社(現中日新聞社)に入社し、東京支社(現東京本社)経済部記者やワシントン特派員などを経て、1987年に社長、1997年に会長に就いた。2011年からは最高顧問を務めていた。名古屋経済界の要職にも就き、名古屋商工会議所副会頭を務めた1998年~2004年には、愛・地球博(愛知万博、2005年)の準備に尽力した。

 1995年~2000年にはプロ野球中日ドラゴンズのオーナー、1996年~2002年にはナゴヤドームの社長を務め、故・星野仙一さんを監督に招聘して、本拠地をナゴヤ球場からナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)に移転。1999年のリーグ優勝を支えた。

 このほか横綱審議委員や共同通信社理事会長、東海ラジオ放送代表取締役会長、東海テレビ放送代表取締役、中部日本放送取締役、在名古屋メキシコ名誉領事館名誉領事なども歴任。 地域社会、スポーツ、文化、メディアの振興に努めた功績から、2007年には旭日大綬章を受賞した。


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