『ああ軍艦島』 日々
いま長崎空港にいます。名古屋への飛行機が遅延、ラウンジでコーヒーを飲みながら、radikoで巨人中日戦を聴きながら、ブログを更新しています。
きょうの目的は、世界文化遺産・軍艦島への上陸です。私はひとつでも多くの世界遺産を観ておきたいと思っています。軍艦島は正式名称を「端島」といい、その形が軍艦土佐に似ていることからそう呼ばれるようになりました。南北に480メートル、東西に160メートル、東京ドーム1.5個分の小さな島に最盛期では5,300人(当時の東京都の9倍の人口密度!)が住んだ海底炭鉱の島です。1974年に閉山、以降無人島になりました。廃墟の島・軍艦島。見学を楽しみにしていたのですが、結果から書きますと上陸できませんでした。残念。軍艦島に上陸するには港から出ているツアーに必ず参加しなければいけません。そして、出航したとしても、軍艦島に上陸できるかは波の高さや天候によります。特に7月は上陸率は低いということも調べていましたし、天気が良いのですがきょうは波が高いのも予報でわかっていました。
順調に軍艦島に近づきました。出航して約45分、軍艦島に接近します。ゆっくりと周回するので船からみんなカメラを向けて撮影しています。まさに廃墟、映画『007 スカイフォール』で「デッド・シティ」のモデルになった軍艦島、こうして近づくとまさにデッド・シティでした。ちょっと波が高いけれど、上陸できるかな…。
下の写真がもっとも軍艦らしく見える位置から撮ったもの。ここに5,300人が住んでいたなんて。観たいなぁ、上陸したいなぁ。
しかし、波は収まりません。しばらく待機していたのですが、写真からもわかるように波が高く、その上、桟橋はそんなに立派なものではないために危険度が高いのです。天候には勝てません。仕方なし。
ああ、軍艦島が遠ざかっていく…。
外観に関してはゆっくり写真を撮ることができたのでまずまず満足しているのですが、やっぱり観たかったなぁ、軍艦島。
そしてさらに15分、搭乗便が遅れるというアナウンスがありました。
『松原敬生の夜はこれから』 日々
先日、実家でカセットテープを探しました。そして見つかりました。私が入社した一年目のプロ野球シーズンオフ、『松原敬生の夜はこれから』(「夫」と記されていますがこちらが本名なので間違えて入力していたようです…)というワイド番組で、「大澤広樹の失礼いたしました」というコーナーを担当していたときのものです。
ボクシングジムに通いスパーリングをしたり、名古屋銀行サッカー部や岡崎学園バレーボール部の練習に参加したり、南知多グリーンバレーでスカイコースターやバンジージャンプをマイクを付けて実況したりと、いわゆる体当たりレポートのようなコーナーです。まだ私も若かった(笑い)。
6月末をもってアナウンサーを引退した松原敬生さんと私の、東海ラジオの番組での接点は『松原敬生の夜はこれから』くらいだったかなと思います。もちろん、2013年の私たちの結婚披露宴にもお越しいただいています。
本当は6月30日の最後の放送も顔を出したかったのですが、長期休暇で家族旅行中だったために断念しましたが、radikoで放送の様子は拝聴いたしました。体調を崩されてからというものの明らかに声の張りがなくなり、声量が落ち、「松原さん、しんどいだろうなぁ…」と思いながら聴いていたので、引退されるとの報を受けたときに「アナウンサーとしてのプライドが許さなかったのだろうな…」と思いました。番組改編期の9月末までは続けたかったはずですが、それを本人が断念したわけですから。最後までアナウンサーであり続けた松原さんでした。
こんなことを書くべきではないのはわかっていますが、私は一時期、松原さんや天野良春さん、蟹江篤子さんら東海ラジオの名物アナウンサーの皆さんたちに「冷たい人たち」という負の感情を抱いていました。1998年、アナウンサーとして入社し右も左もわからぬ私の研修担当は、アナウンサーの先輩である松原さんや蟹江さん、天野さんでした。しかし皆さんそろってワイド番組を連日担当するなかで多忙極まり、研修とは名ばかりで、私は当時の「1スタホール」で誰に教わることもなくただただ一人で発声練習をするだけの日々でした。他局の同期のアナがしっかりとした研修を受けてデビューしていくなか、自分の置かれた状況が悔しくて悔しくて、ある先輩の前でもう辞めたいと悔し涙を流したこともありました。
もちろん私も今ではそんな感情はまったくありません。むしろ、私も同じようにワイド番組を毎日担当する立場になり、この状態で研修なんでできないと思います。私や森アナの苦労が活かされたのか、今はきちんとした研修制度ができています(はず?)。
それよりも最後に書きたかったのは、定年を過ぎ、いつまでたっても空いているスタジオで発声練習を兼ねて新聞を音読する松原敬生さんのプロの姿勢です。何もしなければ年齢とともに声量が落ち、滑舌が甘くなります。そうならぬように日々鍛錬されていた松原さん。誰もいない、見ていないところで練習するのが新人もベテランも、アナウンサーには必要なことなのかもしれません。新聞を音読する松原さんの姿、目に焼き付いています。
ドラゴンズが大好きな松原さん。社内で私の姿を見つけると「きょうはどうかね?」「きのうは悔しかったなぁ」と話しかけてくる松原さん。これからもきっと『ガッツナイター』を聴いていてくれることでしょう。私もいつまで喋れるかわかりませんが、アナウンサーを辞める日まで、日々鍛錬の気持ちを忘れずにマイクに向かいます。松原さん、お疲れさまでした。
『子連れのときの優しさ』 日々
我が子を保育園に送るのは私の担当ですが、この15連休中は特に用がなければお迎えも私が行きます。妻の時短勤務は我が子が3歳になったと同時に通常勤務に変更になりますが、ちょうど私が休みなのでスムーズに移行できそうです。理想を言えばもうしばらく時短勤務が認められる世の中だといいですけどね…。
で、私がお迎えに行き、我が子に「バスに乗りたい」と言われたので、名古屋市営バスで名古屋駅に向かいました。
ご機嫌さんで名古屋駅に到着。入場券を買って新幹線でも観ようかなと思っていたのですが、「おもちゃ屋さん行きたい」と言うのでビックカメラへ。すると…
約2時間、おもちゃ屋売り場から離れてくれません。まあいいんですけれど…。いろんなおもちゃがあるものだとこちらも勉強になりました。3歳になった我が子、「買ってくれ」と泣き叫ぶことはいまのところほとんどないのですが、とにかく売り場を離れたくないのが困りものです。こちらは買ってあげようかなと思っているんですけどね…。
帰りももちろんバスに乗るのですが、車内は帰宅ラッシュの時間帯でやや混み合っていました。我が子を抱っこし、背負ったリュックを床に置くと私よりやや年上の女性から「こちらに座ってください」と言われました。16㌔の我が子を抱きながらバスに乗るのは確かにひと苦労なのですが、年上の方に席を譲っていただくのは気が引けました。一度はお断りしたのですが、それでも「いいからいいから」と言っていただいたのでお言葉に甘えました。私が我が子とふたりで公共交通機関を使った際に、こうして世の中の優しさに触れたのは初めてではありません。むしろ優しい方が多いなぁと思うくらいです。反対に自分がひとりでいる時には、受けた優しさを少しでも返そうと思っています。
『機関車トーマス』 日々
中日5連勝&オリックスとの間での交換トレード、松原敬生アナの引退などいろいろあった6月30日ですが、私たち家族は旅行2日目。きのうは静岡県掛川市「つま恋リゾート 彩の郷」に宿泊し、きょうはそこから車で30分。大井川鉄道の機関車トーマス号に乗る!という大目的を果たした一日でした。
7両編成ですが往復共に満席、それにしてもスゴい賑わいです。
私も我が子と同じかそれ以上に楽しみにしていました(笑い)。新金谷駅から千頭駅まで約1時間20分の旅。
線路沿いでトーマス号を待っている方の多さにも驚きましたが、ほぼみんなトーマス号に向かって手を振っています。楽しい光景です。途中の温泉施設では露天風呂の男性客の皆さんが一列に並んで柵越しに裸で手を振っていました(笑い)。
これも我が子のためと思い、まあまあ高いトーマス弁当を予約済み。あっという間に平らげていました。
でもお腹がいっぱいになるとすぐに…寝てしまいます。おばあちゃんに買ってもらったトーマス号のおもちゃを大事に抱えて。
線路沿いの道を、機関車トーマスのキャラクターであるバスのバーティが併走。これも皆さん大喜び。
そして終点、千頭駅に到着です。
ここでは「トーマスフェア」開催中! トーマス、パーシー、ヒロが並んでいます。
降りしきる雨の中、3人で記念撮影。
駅の外ではバーティが休憩中。写真を撮って我が子もニッコリ。
復路はバスで戻り、SL整備工場を見学して終了。我が子よ、楽しんでくれたかな(おじいちゃんおばあちゃんも)? あと、ミニバンを借りてよかったよかった。