『県岐商頑張れ!』 日々
夏の甲子園、県岐商の16年ぶりベスト4進出に湧いています。横浜高戦、素晴らしい試合でした。
ここ数日「県岐阜商」か「県岐商」か?論争があります。わたしはXなどにポストする際には新聞、テレビなどの表記に従って「県岐阜商」としていましたが、岐阜県出身のわたしにしてみれば、県立岐阜商業高校=県岐商(※市立岐阜商業高校=市岐商)。なので今日のブログは「県岐商」でいきます。
子どもの頃から、岐阜県の野球を引っ張っていた存在は県岐商なんです。各地の野球が一番うまい中学生が県岐商に行く、と刷り込まれていました。
わたしは加納高校で3年間、硬式野球部に在籍していましたし、投手だったこともこのブログや番組などで話しています。記憶が正しければ、練習試合1度、公式戦2度、県岐商の対戦があったはず。
上の写真は岐阜・ファミリーパークの野球場で、おそらく県岐商を相手に投げている2年の春季地区大会。この試合はわたし、センター前ヒットを打ったことも覚えています。もちろん、負けました(笑い)。これが県岐商との初めての対戦。
2年秋に練習試合。これは県岐商のグラウンドで行われました。ピッチングは全く記憶にないのですが、この試合でもなぜかわたしは2塁打を打っています。ライト線へのショボいあたり。3塁を狙ってアウトになり、監督に怒られました。
県岐商の投手から2安打していると思うと、なかなか立派です。
そして最後の夏、2回戦で当たったのが県岐商。確か8x-1の7回コールド負け。ちょっと前に【note】に書きましたが、当時、わたしは全くストライクが入らないイップス状態。8-0で負けていたので7回表2死から「思い出登板」。奇跡的にストライクが入り、打者1人をサードゴロに仕留めました。最後の夏、防御率0.00です。同じグラウンドには1学年下、のちに中日ドラゴンズ入りする英智さんが立っていました。今でも思います。「負けた相手が県岐商で良かったな」と。
明日朝8時から西東京代表・日大三高との準決勝。いやぁ、ワクワクします。
県岐商の選手、関係者の皆さん、応援しています!