今夜は
以前から約束をしていた、
ドラゴンズ吉見一起選手との食事会でした。
およそ4時間、
野球の話、バカ話など、
楽しい時間を過ごしていたのですが、
お開きの時間が近づいたころ、
こんなうれしいプレゼントが待っていました。
「かき氷」です。
しかも、
皿には
「結婚おめでとう」という文字まで。
私がかき氷好きなことを知っている吉見選手が、
あらかじめお店にお願いしてくれていたのです。
感激しました。
そのうえ、
撮影した写真を写真立てに入れて
渡してくれたのです。
右肘の手術で懸命のリハビリを続ける
ドラゴンズのエースが、
私のためにここまで気配りしてくれるとは。
本当に本当にうれしかったです。
ありがとう。
ちなみに、
吉見選手は一滴もお酒を飲みませんでした。
来季、
復活の勝利を挙げた日には
私が幹事になってお祝いします。
☆3/21(木)1+1は2じゃないよ!
強きバトラーは、研究生の藤本美月ちゃんと研究生の市野成美ちゃん!!
第16ラウンド!!!
今回のバトルは、 『言葉を!指令で!表現大作戦』
ある言葉が書かれたカードと、指令カードを、それぞれ引いていただきます。
お2人にはその“言葉”を“指令”通りに表現していただきます。
より指令に近い表現を目指してください。
今回のトークバトルは、チームEの小林亜実ちゃんが考えたゲームだよ~~~~ん!!!
みなさん!2人の即興表現力はどうでしたか?
10点満点中何点かを評価してメールかFAXでお送りください。
メールは、 ske@tokairadio.co.jp
FAXは、 (052)961-0077
投票の結果、見事1位を獲得したメンバーには、この番組を
1週間好きにできるご褒美企画がプレゼントされるよ~~~~~ん!!!
みなさんじゃんじゃん投票してくださいね!!!
藤本美月 + 市野成美 は、『 親子 』
明日の強きバトラーは、佐藤聖羅ちゃん!と二村春香ちゃん!が登場!!
おっ楽しみに!!!
今日は、ちえみさんのレシピをご紹介しました。
「シルキー丼」
豆腐丼です。
絹ごし豆腐を潰します。
手で潰すなり、すり鉢で当たってもいいです。
薬味は、冷や奴に合うものなら何でもいいです。
そして、かつおと椎茸の戻し汁でとったお出汁を醤油で味付けしてとろみをつけたあんを作る。
熱々ご飯の上に、潰した豆腐をのせ、その上からあんをかけます。
さらにその上に生姜をのせます。
熱々のご飯に冷たい豆腐、そして温かいあんが合うんです。
かきこめる熱さになります。
タクマさん「手間はかかるけど、お金はかかりません」
丼が好評ですので、
来週は、「ショボ丼」オンリーでお送りします。
3分でできるあなたなりのショボ丼をお送り下さいね。
番組で採用された方には、携帯魔よけを差し上げます!
4月13日(月)20時から放送の「ニュースファイル」。
岐阜県加茂郡東白川村にある「平和祈念館」。
村から出兵した人びとの記録や遺品などが展示されています。

平和祈念館
開設は1993年。同時に戦記「平和への礎」も編まれました。
これを頼りに先の戦争を知る村びとたちを訪ね、
貴重な体験談を聴きにいくことにしました。
2回シリーズでお伝えします。

■安蒜豊三ニュースファイル
4月13日(月) 20:00-20:30 放送
きょう8月11日は、
私が大好きだった
稲葉光雄さんの一周忌、命日です。
きょうの阪神戦、
稲葉さんの教え子たちがよく投げてくれました。
勝ち試合を天国までお伝えできなかったのが残念です。
いまでも、
選手たちと稲葉さんとの思い出話をします。
一周忌のきょう、
あらためて、
昨年に綴った私の思いを
当ブログにアップします。
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『稲葉さん、僕はあなたの教え子です』
昨夜、帰宅すると箱詰めの梨が届いていた。毎年、この時期になるとおいしい梨を送ってくださるその方との出会いは、亡くなられた稲葉光雄さんとゴルフをご一緒したことがきっかけだった。私と同じ梨が、稲葉さんのご自宅にも届いたはずだ。でも、稲葉さんの口に入ることなく、お供えに変わってしまうとは。
僕は稲葉さんのことが好きだった。思い上がっているわけではないが、稲葉さんもきっと僕のことを気に入っていてくれたと思う。稲葉さんのご子息と私は、同じ98年に慶大を卒業していることもあり、言ってみれば自分の子のような感覚だったのかもしれない。何度も食事をご馳走になったし、下手な私を誘ってくれてゴルフもご一緒させてもらった。私も稲葉さんと話をしたいがために、試合がなく、報道陣もほとんどいない練習日や遠征日にナゴヤ球場に行った。稲葉さんも、僕を見つけると遠くからでも大きな声で「大澤さ〜ん!」と手を振って呼び寄せた。その声はいまでもはっきりと耳に残っている。稲葉さんも僕も野球が大好きで、なかなか話は終わらない。「大澤さんと話しているときが一番楽しいわ」といつも言ってくれた。嬉しかった。また、多くの選手が私たちの会話に加わってくれた。これも稲葉さんの人柄だ。先日、ある質問をしたときに「さすが大澤さん、よくそこに気がついたね。コーチになれるよ」と褒められたときには、「稲葉さんに認められた!」と誇らしい気持ちになった。たった2か月前のことだった。
6月15日、稲葉さんに話があると呼ばれた。今年に入ってから不整脈がひどく、心臓の手術をすると告げられた。「心臓ですか?」と私もさすがに心配になったが、稲葉さんは「簡単な手術だから99%大丈夫。でも、場所が場所だから、大澤さんには話しておこうと思ってさ」と笑いながら話した。選手には秘密、一部の関係者しか知らない稲葉さんの心臓の手術。7月10日、入院前日もナゴヤ球場にいた稲葉さんに私は会いにいった。稲葉さんは私の手を取り、自身の心臓に持っていってポンポンと叩いた。「これで大丈夫。さようなら」と笑っていた。もちろん「さようなら」は冗談で、手術後数日して、稲葉さんはグラウンドに戻ってきた。8月2日付のブログに掲載したような、元気な姿で。
稲葉さんは、自分の寿命についてよく話す人だった。「いつまで生きられるかな」というようなことを、よく言う人だった。これにはわけがある。稲葉さんは3人兄弟だが、おふたりともいわゆる「早死」だった。お兄さんが50台後半でお亡くなりになり、稲葉さんも「その年齢になるのが恐いんだよ」と言っていた。その年齢を過ぎたとき「これで当分死なない」とホッとしたそうだ。手術後も「あと20年くらいは生きられそうだ」と言っていた。ひと月も経たずにこんな最悪な日が来てしまうとは、誰にも想像できなかった。
もうひとつ。稲葉さんは「野球解説者」としてのプライドが高い人だった。ご自身がラジオ・テレビの解説担当でなくても必ず球場に来て、スコアを記入する。とにかく中継を聴く・観る。そして「◯さんはいい解説をしていたね」「◯さんは勉強不足」と感想を言ってきた。そんな稲葉さんも、解説者としての自信をつけるまでは時間がかかったようだ。2002年、稲葉さん17年ぶりの野球解説復帰の日、実況は僕だった。先発は山本昌選手。稲葉さんの教え子と言ってもいい山本昌選手だけに、稲葉さんもいろいろ思い出話などを準備してきたのだが、山本昌選手がメッタ打ちに遭い序盤KO。何も言うことがなくなってしまうようなワンサイドゲームからの解説者人生のスタート。あれから何度も僕たちはコンビを組み、彰子夫人が放送を聴いて感想を言い、(私が言うのはおかしいが)稲葉さんは素晴らしい野球解説者になった。稲葉さんは「大澤さんに助けてもらった」といつも言うが、いやいや、僕たちこそ助けてもらい、勉強させてもらった。
今だから言ってしまうが、稲葉さんはもう来年はユニホームを脱ぐつもりだったようだ。体力的なこと、健康面のことがあったのかもしれない。「大澤さんと野球中継をするのが楽しみだよ、ホント」と、会うたびに、本当にいつも会うたびに言っていた。ナゴヤ球場の2軍戦、ネット裏でチャートをつける稲葉さんに「大澤さん、ここ」と言われ、必ず隣に座らされた。「解説の練習をしないと」と言って。残念ながら、その日は来なかった。
ここまで読んでくださった方はお気づきかもしれない。稲葉さんは、自分の息子と同級生で、27歳下の私のことを「大澤さん」と言う。それが稲葉さんだ。最後に話をしたのは7日火曜日、携帯電話で。内容はどうでもいい、バカバカしい話。あれだけ野球の話をしてきたのに、最後の会話があんな話とは。テレビ愛知高木アナと3人で焼肉をご馳走になりながら、延々と下ネタを話し続けた僕たちの最後の会話には、野球の話は似合わなかったか。あの日は稲葉さんと過ごした、最高に楽しい夜だった。
15日水曜日、中日対巨人。稲葉さんの葬儀のその日、僕は実況担当です。天国にまで届くような大きな声で実況します。稲葉さんが「最高の投球フォーム」絶賛するエース吉見一起選手が、稲葉さんをきっと唸らせるはずです。
稲葉さん、ありがとうございました。「早く結婚して、ウチの近くに住め!」と言われていたのに、実現できず申し訳ありませんでした。僕はプロ野球選手ではありませんが、間違いなく稲葉さんの教え子です。