80年 定期列車
80年経ちました。

原子爆弾とともにほとんどの源石が消えた日。
生かされている幸せをかみしめる日です。
去年9月、広島へ。
「源石」のルーツや平和記念公園を訪ねました。
あの夏。
広島の親戚宅に身を寄せた当時国民学校1年の父は、いたずらが過ぎて関西の自宅に帰されました。
原爆が投下されたのはそのわずか1週間後。生死を分けたのは父のやんちゃさでした。
その後再び広島に向かった父ら兄弟は、広島駅で「無」に帰した街並みを目の当たりにします。
そして本家がある場所までおよそ30キロの道のりを歩きました。
そのとき父の胸に去来したものは何か。聞きそびれたままあの世へ行ってしまいました。
それでも父は当時の出来事をよく語り、平和記念館やルーツの地へも連れて行ってくれました。
主なき本家の墓のそばで遠い親戚に会うこともできました。
亡くなった源石たちの思い出話に父は涙を流していました。僕が見た最初で最後の涙でした。
去年の訪問では思い出話をしてくれた人の息子に会うことができました。
息子といっても年上で苗字は異なりますが、遠いところで血がつながっています。
そんな人が墓を守ってくれているのです。
いろいろな人がつながって、生かされていると感じます。
人間は過ちを犯します。
その過ちを教訓にできるのも人間です。
その教訓を忘れるのもまた人間です。
80年という歳月は長いですが、
忘れるには短すぎるのかもしれません。
戦争や災害について知るたびに思います。
たまたま僕にはつながった人がいます。
だから忘れにくいのかもしれません。
ではつながった人がいない場合はどうするか。
そのために大切なのが「伝える」ことだと思います。
「公正中立であれ」
「客観的であれ」
「真実を伝えよ」
最近よく投げかけられることばです。
無視することは決してありませんが、心がけてもそのように伝わらないこともあります。
一方で、自分の耳に心地よくない言説を
「公正中立でない」
「客観的でない」
「真実でない」
と切り捨てられることもあります。
すると「伝える」ことが止まってしまいます。
いまの世の中はこのようにあちこちで伝えることが滞っているように思えます。
それでも伝えることをやめるわけにはいきません。
仕事だからだけでなく、人の営みでもあるからです。
営みが滞らないように、過ちを繰り返さないように。
これからも「伝える」日々を重ねます。
のりかえ≫1年前のきょう
のりかえ≫2年前のきょう
のりかえ≫3年前のきょう
のりかえ≫4年前のきょう
のりかえ≫5年前のきょう
のりかえ≫6年前のきょう
のりかえ≫7年前のきょう
のりかえ≫8年前のきょう
のりかえ≫9年前のきょう
のりかえ≫10年前のきょう