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直球勝負!大澤広樹

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『高木守道さん』 日々

1月17日、中日ドラゴンズ元監督の高木守道さんが亡くなりました。78歳。CBCラジオで元気にお話をされている様子を聴いていただけに大変驚きました。お悔やみを申し上げます。

私がプロ野球、ドラゴンズに興味を持ち始めた頃にはすでに高木さんは現役を引退されていました。なのでプレー姿は記憶にはありません。しかし、岐阜県で育ち野球をやっていた私は、高木守道さんのお名前は子どもの頃から何度も聞いて育ちました。「県岐商」「高木守道」はなにか特別な意味を持つ固有名詞でした。1994年10月8日「10・8決戦」で敗れ、当時大学生だった私はただなんとなく「運のない人だな〜」と生意気にも思っていました。運がない人が2000安打を記録し、「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる人物になるわけがありません。

2012年、高木さんが落合博満さんの後任の監督になりました。その年の6月、高木さんにインタビューさせていただきました。



言葉を考え選びながら話す高木さん、話終わったのかと思いこちらが喋ろうとするとまた高木さんが話を始め、言葉がバッティングすることが何度もあった気がします(笑い)。そしてプレゼント用にサインボールを頂いた時のことでした。高木さんは「あんた、このボールのケースはあるのかね?」と岐阜弁で聞かれました。「いや、ケースはありません」とお答えすると、「ちょっと待っとれ」と言い、サインボール用のケースをどっさりと持ってきてくれたのです。「うわ、監督自らそんなことまで気を使ってくださるなんて…」と驚き、恐縮するとともに、高木さんはこういう思いでドラゴンズファンの皆さんに接しているのだろうとうれしくなりました。そして、この人を応援したい、まさに「ファンと共に」CS、日本シリーズへ進んで「10・8決戦」で負けた監督というイメージを払拭してほしいと願うようになりました。

その年、優勝は逃しましたが2位でCSに進出、ファーストステージを勝ち上がり、ファイナルステージでは1位巨人に対して3連勝。あと1勝で日本シリーズ進出というところまで追い詰めました。当時、私は「ドラゴンズが勝っている間はパンツを変えません!」とラジオで公言し、結果4日間、同じパンツに消臭剤を吹きかけながら履いていたことを思い出します。神田明神にもお参りに行きました。でもその願いは通じませんでした。



上の写真は2012年8月に行われた「ファンフェス88」。高木さんのお面が配られたイベントです。「これで君も守道監督だ!!」というコピーには笑ってしまいますが、色々あった、思い出深き二年間でした。

きょう、取材しているとある球団関係者が「あの2年間が終わった後、高木さんをナゴヤドームで見る機会も、メディアで見る機会も少なくなってしまった。もしかしたらお前が言うなと思われるかもということで避けていたのかもなあ。もっとナゴヤドームに来てほしかったなあ」とつぶやいていました。

中日ドラゴンズを愛し、ファンを愛した高木さん。監督時代にもっとお話しすればよかったなと悔やんでいます。