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直球勝負!大澤広樹

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『フリーアナウンサーとして出発』 日々

初めに書きますが、私が退社、フリーになるわけではありません。

きょうは急遽、半休を取らせていただきました。異動する2016年まで、テレビ愛知のアナウンサーとしてプロ野球や競馬の実況を担当していた高木大介さん。この2月でテレビ愛知を退職し、関東圏を中心にフリーアナウンサーとしてスタートすることになりました。その高木(ここからは普段通り、呼び捨てで『高木』と書きます)が、名古屋の部屋を引き払い、きょう、横浜へと向かいました。その高木を、友人と二人で見送ってきました。



高木が入社したのが2001年、私の3歳下になります。理由はよくわかりませんが、私は高木とは気が合ったし、彼も慕ってくれていると感じていました。取材現場でだけでなく、名古屋でだけでなく、札幌でも沖縄でも、一緒に食事した回数は数えきれないくらいです。言えるようなことも、言えないようなことも(笑い)、いっぱい話しました。



高木とはプライベートでロッテ対阪神の日本シリーズを千葉まで見に行って、翌日は京都競馬場でディープインパクトの三冠達成の瞬間を見届けました。

2007年11月1日、中日ドラゴンズが日本一になったあの試合では、私は放送席に座り、高木はインタビュアーとしてグラウンドで落合博満監督にマイクを向けていました。



会社員ですから、人事異動はつきものです。早稲田大アナウンス研究会からテレビ愛知アナウンサーへ、目指していた通りのレールを進んできた高木ですが、2016年7月をもって、一度は終点に着いてしましました。高木のアナウンサーとしての最後の仕事の日も、私は放送席に座り、高木はレポーターとしてヒーローインタビューを担当していました。下の写真は、その時のものです。



幸せなことに私は24年も、好きで就いた職業を続けています。だから本当の意味で、高木の苦しみがわかっていないと思います。高木は、異動後の5年半、もがき苦しんだことでしょう。もちろん、そのまま会社員生活を続けて、例えばプライベートを充実させるという道もあったでしょう。でも高木は、テレビ愛知を退社し、フリ-アナウンサーとしてもう一度出発することを決めました。

昨年末、会ったときに「会社を辞めたい」とは言っていました。しかし、まだまだ先のことだと思っていました。いや、辞めないと思っていました。ところが1月末、高木から電話があり「辞めます」と伝えられました。

本当に驚きました。でも、険しい道だとわかっていながら、彼はそれでも自分がやりたいことを貫きました。私は「おめでとう」とLINEを送信しました。

とてもさみしい。そして、高木が一番苦しんでいるときに、私は何も助けてあげることも、話を聞いてあげることさえもできなかったという後悔の思いが、今も胸を去来します。きょうはせめて、高木を笑顔で送り出そうと休みを取らせてもらいました。




「ひかり」を一本見送り、「のぞみ」224号に乗って、高木は名古屋を発ちました。応援することしかできません。つまずくこともあるでしょう、うまくいかないこともあるでしょう。でも、高木が選んだ道です。友人として仲間として同志として、全力で応援します。

高木、頑張れ。

きょうから、名古屋にいる僕たちと、高木との、新しい友情の始まりだ。

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