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村上和宏の情報ちゃんぷるー

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星野仙一氏を偲ぶ

年明けすぐに飛び込んできた訃報。
5日深夜にある知り合いから「まだ噂レベルだけど、星野さんが亡くなったらしい。東京では記者が裏取りでこの時間に走り回っている」と連絡がありました。
半信半疑のまま床に就いたもののなかなか寝付けず、朝一番に見た速報…。
一言で言うと「信じられない」、この言葉しか頭に浮かびませんでした。

私がこの世界に飛び込んだのは第一次星野政権最終年の1991年。
ペーペーの私は近寄ることさえ憚られる相手でした。
第二次政権時には私も多少はそばに寄れるようにはなりましたが、あちこちで語られているキャンプ中の朝の散歩~朝食会は
毎朝参加はするものの監督のそばに行くことができる人は不文律で決まっていて、まさに参加しただけ。
でも朝来ていなかった、私同様そばにはいけない記者に対し練習の合間に「お前、今朝居なかったな。」とニヤッと笑いながら言った姿に「この人はそばにいない人もちゃんとチェックしているんだ」と感心したことを思い出します。

私は当時東海ラジオのスポーツアナウンサー最年少。星野さんから見ればそれこそ端にも棒にもかからない存在だったはずですが、豊橋で弊社主催のオープン戦が雨天中止になるか強行するか微妙だった際、いたずらっぽく笑いながら「村上君、どうするよ?」と語りかけられ、私の名前を覚えてくれてたんだと感動したことも昨日のようです。

今は試合前にベンチに腰を下ろして記者とゆっくり語らう監督は特にセ・リーグでは減ってしまいましたが、星野さんはほとんどの試合で話しをしてくれました。
ある時、広島市民球場の試合が雨天中止となり、投手陣が雨の降るグラウンドで練習していたときには野球だけでなく四方山話に花が咲き改めて星野さんの知識の豊富さに感心していたところ、突然話題を振られました。
「お前の鼻の下にあるのはカビか?」
当時私はひげを生やし始めたばかりで、元々体毛が薄いこともあって本当に「カビ」と言われても仕方ない程度でした。
そこで「実は体毛が薄いのにひげを生やそうと頑張っている姿を見て、知り合いがヒゲの毛生え塗り薬をくれたんですよ」と答えると大笑いされ、しばらくその話題で盛り上がったこともありました。
その場にいるみんなに話しを振って有意義な時間にしてくれるまさに気遣いの人。

殿堂入りパーティーの際に挨拶で語っていたように、まだまだ野球界のためにやりたいことが山ほどあったと思います。
志半ばで天に召されて悔しい思いがきっとあることでしょう。
でも星野さん、あなたは全力で駆け抜けすぎでした。
まさか急にお亡くなりになるとは夢にも思っていませんでしたが、無理が祟ったのかもしれません。

今はただ、安らかに休んで下さい、としか申し上げられません。

謹んでご冥福をお祈り致します。