久々の休暇で 3 info
さて、久々のニューヨークですが今まで行きたくても行っていない場所が
あり、今回は何はともあれまず行こうと決めていたところがありました。
19世紀にイースト川に架けられたブルックリン橋です。
ロウアーマンハッタンと、川を挟んだブロンクスを結んでいます。
キャナルSt駅で地下鉄を降り、チャイナタウンで腹ごしらえをして
ブルックリン橋に向かいました。
この橋は二層構造になっていて、下が車道、上が歩道になっています。
旧ニューヨーク市庁舎に程近い場所が歩道に入り口。
ついに念願のブルックリン橋に到着しました。
行った日はちょうどアメリカの祝日「ベテランズデー」(退役軍人の日)で
通勤に使う人はいませんでしたが、観光客で思った以上に混雑していました。
歩道は幅がおよそ4mでマンハッタン側から見ると左が自転車レーン
右が歩行者レーンに分かれています。
ではブルックリン橋の写真を連続でどうそ。
石造りの橋脚は重厚感があり、歴史を感じさせます。
ちなみに歩道は入り口付近以外は木製なので、隙間から下が
微妙に透けて見えます。
高所恐怖症の方にはちょっとつらいところかも・・・。
マンハッタン方向を振り返ると摩天楼が見えます。
橋脚部分は遊歩道のようなスペースがあり、車道の上まで行くことができます。
川の上とはいえ、海の近いので結構錆も。
橋脚の上からケーブルを垂らしてメンテナンスも行われていました。

帰路、橋の上で記念撮影。
念願叶い、よい思い出になりました。
久々の休暇で 2 info
呼び出しに応じて搭乗口のカウンターへ行き
呼び出された旨伝えました。
すると「アメリカ航空当局の要請で、ランダムに選んだお客様に
更なるセキュリティーチェックをお願いしています。」とのこと。
日本のセキュリティーチェックもペットボトルを機械にかけて確認するなど
以前に比べて厳しくなっていますが、アメリカのセキュリティーチェックは
靴を脱ぎ、ベルトも外して機械にかける更に厳しいものです。
どのようにチェックするのかというと、カウンターの裏へ案内され
やはり靴を脱がされて靴のチェック、機内持ち込みのかばんの中味を
くまなく調べる、念入りなボディータッチといったものでした。
アップグレードかと淡い期待を抱いていた私はがっかりするやら拍子抜け
するやら・・・。
そんなことを経ていよいよ機内へ。
ニューヨークまでおよそ12時間半のフライトです。
座席モニターでエンターテインメントを楽しみつつ、うとうとしつつ
航路マップで見ると徐々に近付いてきました。
朝食の時間になり窓のブラインドを開けると

アメリカの広大な光景が!
3年10ヶ月ぶりのアメリカ本土です。
飛行機はニューヨークへ向かって飛び続けます。
やがて

マンハッタンの摩天楼が見えてきました。
ちなみに写真右手前に写っているのは主翼です。

マンハッタンの南部分、いわゆるロウワーマンハッタンに
ひときわ高くそびえるのがオープンしたばかりの新しい
ワールドトレードセンタービルです。
同時多発テロで二つのタワーが倒壊してから丸13年、
ついにかつてのタワーよりも高いビルが完成したのです。
こうして雲もほとんどない快晴の中、JFK国際空港に着陸しました。
久々の休暇で 1 info
野球シーズンも終わり、今年に入って初めてまとまった休みを頂きました。
土日を挟んで月〜金5日の代休。
11月8日から16日まで併せて9連休です。
せっかくのまとまった休みなので思いっきり遠出することにしました。
今回からしばらくは今回の休みを利用した私の旅行記にお付き合い下さい。
若いころは休み初日からガンガン動き回ることができましたが
さすがに齢50が近づき、さらに普段の疲れが全く抜けていない状況で
8日は準備も兼ねてゆっくり過ごし、翌9日に名古屋を発ちました。


まずはセントレアから成田空港へ。
出国手続きも済ませ搭乗を待っていると私の名前を呼ぶアナウンスが。
「まさかオーバーブッキングでアップグレードでもしてくれるのかな」と
下心をのぞかせながらカウンターへ向かいました。
ところが!
沖縄の鉄道 info

沖縄県は長らく日本で唯一「鉄道」がない県でした。
しかし、2003年8月10日那覇空港〜首里間、12.9Kmの
モノレール「ゆいレール」開業で沖縄にも「鉄道」が開業しました。
モノレールは法律上「鉄道」なのです。
戦前は今の那覇空港から市内中心部に向かう際に必ず通る
旭橋に程近いバスターミナルに「沖縄県営鉄道」那覇駅がありました。
ここを起点に現在アメリカ国外では最大の基地、嘉手納エアベースがある
嘉手納町を結ぶ嘉手納線や、那覇から太平洋側へ向かう与那原線などがありました。
もちろんモノレールではなく、SLや気動車で運転される鉄道で
レール幅はJR在来線よりも狭い「特殊狭軌」で、当時日本各地に点在した
「軽便鉄道」と呼ばれるものでした。
この軽便鉄道、この地方でも近鉄の内部線、八王子線がこれに当たります。
ちなみに当時の沖縄では「ケービン」と呼ばれていたそうです。
沖縄戦が始まる直前1945年3月には戦争の激化で運行停止に追い込まれ
4月からの沖縄戦で車両や駅施設はもちろん、線路に至るまでことごとく破壊されました。
戦後、アメリカの占領が始まると線路が敷設されていたところを米軍が
巨大なブルドーザーで一気にならして道路にしてしまいました。
これがハイウエーNo.1,、今の国道58号線です。
実に58年ぶりに沖縄に復活した「鉄道」ですが、一般の人には
鉄道=モノレールということがいまひとつピンとこないようで
若い人と話しをすると「沖縄には鉄道がないから」と言う人が
今でも少なくありません。
3両編成のかわいいモノレールですが、台風が多い沖縄の風土を考慮し
風に強い袴座式(羽田空港と浜松町を結ぶ東京モノレールと同じ)が
採用されています。
那覇中心部のホテルに泊まられる場合はゆいレールも便利です。
観光客の利用はあまりないようですが、沖縄へ行かれる際には
一度試してみてはいかがでしょう。
会社の社窓から info
10月は二週続きで週末に台風がやってきましたね。
行楽シーズン真っ只中だったので、予定変更を余儀なく
された方も少なくないと思います。
さて、台風が去った後はまさに「台風一過」でした。
台風が過ぎた6日、13日ともに会社の窓からの光景は
こんな様子でした。

9月27日に噴火し、戦後最大の噴火被害をもたらした
御嶽山です。
冬のよく晴れた日に見えるのは知っていましたが、この時期に
見えるとは驚きでした。
目いっぱいのアップで撮ったため、若干ぶれてしまって
鮮明ではありませんが、噴煙も見えました。
自衛隊や消防、警察のみなさんの必死の努力にもかかわらず
行方不明者を残したまま捜索打ち切りという苦渋の決断が下されたのは
台風19号が通り過ぎたすぐあとでした。
静かに犠牲となられた方に手を合わせました。