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直球勝負!大澤広樹

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『祖母の一周忌』 日々

きょうは祖母の一周忌なので、

昨年9月5日のブログを再掲いたします。

1年、

あっという間でした



9月2日夕、母方の祖母が亡くなった。85歳。わたしには祖父が一人しかいない。いや、正しく言えば「一人しか知らない」。わたしの母が生まれてすぐに離婚したので、母も父親の顔を知らない。「女手一つで娘を育てた」というやつだ。

わたしの母が結婚してから、祖母はずっと一人で暮らしてきた。83年、美濃加茂市は大水害に見舞われた。平屋の祖母宅は天井付近まで浸水するも、近所の方々の優しさで生き延びた。ここ10年はリウマチに悩まされ、家事はもとより字を書くことも難しい状態だった。とっくに障がい者認定を受けられる状態だったのに、「なんとか自分でできるうちはお国の面倒になるわけにいかない」と、実際にその申請をしたのはやっと2年前、もちろんすぐに認められた。私の母校・慶應義塾の塾訓そのもの、祖母の生き方はまさに「独立自尊」だった。

7月29日、大阪にいるわたしの携帯電話に「おばあちゃんが入院しました」と母からメールが届く。4日前に会ったばかりだった。その日もいつもと同じように、わたしの車が見えなくなるまで手を振っていたのに。28日、母が電話をした際に、受話器をとったまま返事がない状態だったため急行したそうだ。一人暮らしの祖母の家の玄関は、鍵だけでなく、杖でつっかえがしてあり入れない。母は靴を脱ぎ、小さな窓から部屋に飛びこんでいった。祖母は真っ青になり、部屋に倒れていた。その日、偶然電話をしたのも、なんとか受話器をつかめたのも、窓が開いていたのも親子の愛情の深さゆえか。祖母が手にしていたのは、手足の不自由な祖母には楽だろうということでわたしがプレゼントしたコードレス電話だった。

休みの日に、ナゴヤドームに行く前に、できる限りわたしは祖母に付き添った。入院当初は「広樹に迷惑をかけてゴメンね」と言い、看護師の方に排泄の世話をしてもらうことを辛い辛いと言った、大正生まれ、独立自尊の祖母はあっという間に衰弱していった。胃がん。しかも「よくここまで我慢していた」というようなひどい状態だった。ほどなく錯乱し、会話ができないような状況になった。わたしはそんな状況でも、初めての介護、看護をなんとなく楽しんではいたが、母は目に見えて疲労が溜まっていき、わたしに弱音を吐く日々になった。

母の介護疲れを知ったのだろうか、入院からわずか一カ月強の9月2日、美濃加茂市・木沢記念病院の病室で祖母は息を引き取った。その日もわたしは夕方まで祖母に付き添っていたが、わたしが帰宅した直後に亡くなった。あっけなかった。最期まで面倒を見てくださり、病状やその日の様子を孫のわたしにまで丁寧に伝えてくださった看護師のみなさま、葬儀場へ運ばれる祖母をわざわざ見送りにきた上、涙を流してくださった担当医の坂井さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。わたしはこの日から4連休だった。仕事を休むことなく、葬儀が終わるまできっちり4日間、ずっと祖母の近くにいられた。人に迷惑をかけないことを最良とした祖母の最後の気配りでもあった。

わたしの手元に、祖母が不自由な手で書いたメモ帳がある。その日の出来事や電話番号を、決してきれいな字ではない、でも必死に書いたメモだ。パラパラとめくると、その中に「正直わ一生のたから(原文まま)」という一文があった。なぜこの言葉を書いたのか今となってはわからない。「だったらもっと早く、正直に病状を伝えてくれていれば手術だってできたかもしれないのに」と思ったりもする。でも、「正直わ一生のたから」、これは祖母からわたしへの遺言なのだろう。



祖母の自宅の仏壇には、木の実で作った小物入れが飾ってあった。南方に出征した祖母の弟が作ったものだ。弟は軍艦ごと米軍の魚雷に沈められて戦死している。だから、体が不自由な祖母にかわってわたしが毎年靖国神社を参拝していた。その小物入れも、弟と一緒に棺に収めた。祖母と弟、そして昨年亡くなった祖母の姉、3人兄弟がそろうのは60数年ぶりになる。そして、「この小物入れ、よく残っていたね」と笑いあっていることだろう。

昨夏、祖母の姉が亡くなった日は大雨だった。雨の中、わたしは祖母を抱きかかえ、車に乗せた。「こんな高級車に乗ったのは初めてだし、最後だわ」と笑っていた。わたしの車が高級車かどうかはさておき、葬儀場から祖母を送り出した車はロールスロイス。人生の最期に、祖母は本物の高級車に乗った。「これが高級車だよ」とわたしは心の中でつぶやいた。朝方までの雨は上がり、まだ残る夏の蒸し暑さの中を、ロールスロイスは走り出した。

祖母の肉体が煙になって曇り空に吸い込まれていく。リウマチやガンの痛みからついに解放されたんだ、食べたかったお寿司をいっぱい食べてください、おばあちゃん。あ!結婚はもうちょっと待っていて(笑)。