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直球勝負!大澤広樹

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『松原敬生の夜はこれから』 日々

先日、実家でカセットテープを探しました。そして見つかりました。私が入社した一年目のプロ野球シーズンオフ、『松原敬生の夜はこれから』(「夫」と記されていますがこちらが本名なので間違えて入力していたようです…)というワイド番組で、「大澤広樹の失礼いたしました」というコーナーを担当していたときのものです。



ボクシングジムに通いスパーリングをしたり、名古屋銀行サッカー部や岡崎学園バレーボール部の練習に参加したり、南知多グリーンバレーでスカイコースターやバンジージャンプをマイクを付けて実況したりと、いわゆる体当たりレポートのようなコーナーです。まだ私も若かった(笑い)。



6月末をもってアナウンサーを引退した松原敬生さんと私の、東海ラジオの番組での接点は『松原敬生の夜はこれから』くらいだったかなと思います。もちろん、2013年の私たちの結婚披露宴にもお越しいただいています。



本当は6月30日の最後の放送も顔を出したかったのですが、長期休暇で家族旅行中だったために断念しましたが、radikoで放送の様子は拝聴いたしました。体調を崩されてからというものの明らかに声の張りがなくなり、声量が落ち、「松原さん、しんどいだろうなぁ…」と思いながら聴いていたので、引退されるとの報を受けたときに「アナウンサーとしてのプライドが許さなかったのだろうな…」と思いました。番組改編期の9月末までは続けたかったはずですが、それを本人が断念したわけですから。最後までアナウンサーであり続けた松原さんでした。



こんなことを書くべきではないのはわかっていますが、私は一時期、松原さんや天野良春さん、蟹江篤子さんら東海ラジオの名物アナウンサーの皆さんたちに「冷たい人たち」という負の感情を抱いていました。1998年、アナウンサーとして入社し右も左もわからぬ私の研修担当は、アナウンサーの先輩である松原さんや蟹江さん、天野さんでした。しかし皆さんそろってワイド番組を連日担当するなかで多忙極まり、研修とは名ばかりで、私は当時の「1スタホール」で誰に教わることもなくただただ一人で発声練習をするだけの日々でした。他局の同期のアナがしっかりとした研修を受けてデビューしていくなか、自分の置かれた状況が悔しくて悔しくて、ある先輩の前でもう辞めたいと悔し涙を流したこともありました。

もちろん私も今ではそんな感情はまったくありません。むしろ、私も同じようにワイド番組を毎日担当する立場になり、この状態で研修なんでできないと思います。私や森アナの苦労が活かされたのか、今はきちんとした研修制度ができています(はず?)。

それよりも最後に書きたかったのは、定年を過ぎ、いつまでたっても空いているスタジオで発声練習を兼ねて新聞を音読する松原敬生さんのプロの姿勢です。何もしなければ年齢とともに声量が落ち、滑舌が甘くなります。そうならぬように日々鍛錬されていた松原さん。誰もいない、見ていないところで練習するのが新人もベテランも、アナウンサーには必要なことなのかもしれません。新聞を音読する松原さんの姿、目に焼き付いています。

ドラゴンズが大好きな松原さん。社内で私の姿を見つけると「きょうはどうかね?」「きのうは悔しかったなぁ」と話しかけてくる松原さん。これからもきっと『ガッツナイター』を聴いていてくれることでしょう。私もいつまで喋れるかわかりませんが、アナウンサーを辞める日まで、日々鍛錬の気持ちを忘れずにマイクに向かいます。松原さん、お疲れさまでした。