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直球勝負!大澤広樹

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『奈良まなみさんを偲ぶ』 日々

ご遺族の許しをいただき、本日のブログを更新いたします。

5月末、元東海ラジオアナウンサーの奈良まなみさんがお亡くなりになりました。享年59歳でした。
奈良さんは1990年に東海ラジオに入社、2004年に退職されました。わたしとは1998年4月から2004年3月まで、6年間に渡り一緒に仕事をさせて頂いた先輩アナウンサーです。最後にお会いしたのは2018年1月。共通の知人の結婚披露パーティーでした。2021年にLINEのやり取りをしたのが最後のコミュニケーションとなりました。病気療養中であったことは知らず、訃報を受けたときには大変に衝撃を受けました。



わたしが入社した当時、東海ラジオにはアナウンサーが20名近く在籍していたはずです。わたしがアナウンサーとして初めて放送に出演した、いわゆる「初鳴き」は1998年7月1日。そのときに、一緒にスタジオに入ってくれた先輩が奈良さんでした。誰よりも近くで、わたしのでデビューを見守ってくださった先輩です。わたしの雑な準備を厳しく指摘していただいたおかげで、今ではかなり念入りに準備して本番に臨むアナウンサーになったはずです。

そして2003年シーズンオフ、わたしと奈良さんは毎日、スタジオで顔を合わせるようになりました。『ガッツナイト』という、毎日、プロ野球解説や中日ドラゴンズの選手、関係者が出演する番組でした。いま思えばかなりの予算が投入されていた番組です。当時はそんなことも知らず、わたしは毎日の生放送に必死でした。



この頃、わたしも5年目を迎えて少し自信もついていました。一方で、奈良さんは決してプロ野球について詳しかったわけではありませんでした。ご苦労も多かったのではないかと思います。

一度、奈良さんが準備不足で大きなミスをしました。その日の放送後、わたしはかなり強い口調で指摘したことを覚えています。10歳も年下のわたしに強く言われて、不快に思われたかもしれませんが、奈良さんは「大澤くん、本当にごめん」と素直に謝ってくださいました。その言葉でわたしの気持ちは収まりましたが、同時に、もう少し優しく、配慮のある言い方ができたのではないかと、今でも苦い記憶として残っています。

奈良さん、生意気で申し訳ありませんでした。



わたしたちの結婚披露宴にもご出席いただきました。また、時折LINEのやり取りをしていたので、お子さんの進路なども知っていました。訃報に接したとき「お子さんは今、おいくつになったのだろう…」と真っ先に思いました。

5月31日、家族葬で執り行われることは承知しておりましたが、ご遺族のお許しをいただき、お通夜の後にお別れをさせていただくことができました。お子さんは大学生になっていました。遺影はお子さんの入学式当日に撮影した写真だそうです。ご遺族によると奈良さんは「なんとか息子の入学式までは」と強く願いながら、病気と闘っていたそうです。



わたしのアナウンサーとしての第一歩から見守ってくださった奈良さん。本当にありがとうございました。

心よりお悔やみを申し上げます。

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